サッカーへのヘイトが高い話

インターネット上には、度々サッカーへのヘイトが高い人間が出現する。かく言う私もサッカーが嫌いである。

何故私はサッカーが嫌いなのだろうか。

まず、私は体を動かすこと自体は嫌いでも苦手でもない。放課後に友人と卓球やバドミントンをしていたこともある。また、体育の授業は雑談できることもあって割と好きだった。そうなると運動嫌いではない別の理由があるはずだ。

また、モータースポーツの観戦にも行ったことがあるし、流行りのeスポーツの大会も見たり、オリンピックも楽しく見ていることから、スポーツが嫌いというわけでもない。

次に、民度の観点から考えよう。サッカーの試合では観客の暴動がニュースになることもあるが、野球などでも暴動は起きるし、eスポーツの大会配信のコメント欄も度々荒れることから、サッカー好きだけが特別民度が低いというわけではないだろう。

では、誰もが経験した体育の授業はどうだろうか。思い返すと、体育のサッカーは他の球技よりもつまらなかった。何故体育の授業においてサッカーだけクソつまらなく感じたのだろうか。

楽しくなかった原因について、試合への関わり具合を考える。まず、陸上競技や水泳はタイムを競うことはあるが、基本己との戦いであるため、関わり度は100%と言えるだろう。水泳の授業はひたすら泳ぎ続けていたため、疲れはするがつまらなかった記憶は無い。

次に球技について考える。球技の場合、複数人で球1つを使った試合になり、ボールと関わらないことで試合に関わらない時間も多くなる。ここでは体育で行われがちな球技を考える。まず、卓球やテニス、バドミントンは1対1や2対2なので球に必ず触れることになるだろう。また、バスケットボールは1チーム5人なので、コート上では10人で1つの球を追い回すことになるが、ダブルドリブルといった禁止事項のお陰でパスが回ってくる機会もあるため、ボールに触れずに試合が終わることは少ないだろう。さらに、バレーボールは6人1チームだが、サーブが回ることと、飛んできた球を複数人で打ち返すことから、球に触れる機会は何かしらあるだろう。

ここまで様々な競技について見てきたが、サッカーの関わり度はどうだろうか。 サッカーの授業は、1つの球を追い回し、終わりなきシャトルランをしていた記憶しかない。球を蹴る競技なのに、球を蹴った記憶があまり無い。サッカーは1チーム11人、コート上に22人もの人間がいて、ゴールキーパーを差し引いても20人で一つの球を追い回しているので、球に触れる機会が少ないのは当然である。しかも、スポーツウェイの単騎突撃が横行する体育サッカーにおいて、我々陰の者は球に関わることのない動くカカシに過ぎない。ただのカカシなら止まっていても変わらないはずだが、コートの反対側で立ち止まっていようものなら、チームのスポーツウェイからは球を追いかけさせられ、教員からは成績が容赦なく下げられる。そして無意味なシャトルランを繰り返す中で無関係なところで得点が入り、スポーツウェイだけが盛り上がる。我々は球技やってる感はゼロな上に無駄な疲労は溜まり、ウェイの盛り上がりを眺めるだけである。これだけの理由があれば、サッカーを嫌いになるには十分だろう。

ここで、今回この記事を書くきっかけとなった、4月27日のとある新聞記事を紹介する。

https://www.asahi.com/articles/ASQ4V621HQ4QUTQP00P.html

この記事では、サッカーが嫌いな子供が増えていて、その主要因を「ボールが硬くて当たると痛いこと」としている。対策として、柔らかい新聞紙の球を使ったサッカーを行うことで、子供達の苦手意識を無くそうとしている。しかし、記事の中でも触れられているように、ボールに触れたことで楽しいと感じた子供がいる。そして、多くの人が体育のサッカーを嫌いと感じ、サッカーそのものが嫌いとなる原因は、その球技をやってる感の無さなのではないだろうか。これ以上悲しき少年少女を生み出さないためにも、本質を見極めて対策をして欲しいと思う。