「はい論破」の異世界転生

私は中高6年間を極度言論暴力世界で過ごしたので、議論と言えば根拠を用いて論破するものだと思っていた。しかし、大学に入ってみるとあの中高がイカれた場所だったんだと気づかされた。

大学での授業内グループワークなどを通して、世の中の議論というものは基本的に相手を論破するものではなく、意見をゆるっと混ぜ合わせ、折り合いをつけるものだということを知った。論破が前提条件にない世界で根拠を揃えたカードバトルを始めると、相手が根拠のカードを揃えきっている訳もないので、お互いが自分の土俵に引きずり降ろそうと無駄な争いをして終わるだけだ。ここで、争いを避けつつ違う次元に住む人間を納得させるには、ずば抜けた論理的説明能力であったり、強力な統率力のようなものが必要なのだろう。

「はい論破」の常用はお互い慣れているインターネット上に留めておいた方が良さそうだ。