性的少数者の人の考えを全肯定も全否定もしない話

私は、自分の尊厳を脅かされるようなものでなければ、他人の考えや嗜好を否定すべきでないと考える。そのため、マイノリティの人々の考えについて全肯定はしていないが、否定的な考えも持っていない。

人間は個体に別れて存在する上に意思伝達手段が言葉しかなく、その言葉も全てを表せるわけではないため、伝えられることには限界がある。したがって、他人のことを理解するとき、言葉を通じてある程度は理解できても完全に理解することは不可能だ。ただ、完全に理解することができないからといって初めから理解しようとせずに排除することはその人を尊重していないし、それと同等に、全てを理解していないのに全肯定botになることも相手を尊重できていないと考える。

そのため、自分とは異なる考えや自分が持たない考えを持つ人と接した時、努力して理解できた範囲では肯定したりして自分の立場を示し、理解できない部分は肯定も否定もせず中立の立場になることが大切だと思う。

この考えから、私はマイノリティの人のことをよく知らないので全肯定はしないし、少し知っているからこそ否定もしない。ゆえに、学校帰りに女子同士で腕を組んでいても、女子が第一人称として「ぼく」や「俺」を使っていても、男子がスカートを履いていても、それは本人の自由だと考える。